コロナ感染は国民の「気の緩み」か?西村大臣の発言にネット上で批判相次ぐ

独り言

西村経済再生相は、5月16日の記者会見で、緊急事態宣言が39県で解除された後、宣言が継続する東京、大阪、北海道で人の移動が増えている現状について言及しました。

「ここで気が緩むと、今後また新規感染者数が増えてくる。宣言の解除はできなくなるわけであります。なんとかこの5月末までにこの大きな流行を収束させたい。ぜひ国民の皆さんには引き続きの様々なご不便をおかけしますけれども、自粛をお願いしたいというふうに思います」

会見では、「気の緩みがあると、再び大きな流行になる」「あちこちで気の緩みが見られる」など、「気の緩み」というワードを繰り返し強調しました。

ネット上では、「気の緩み」という言い回しに対し、

「上から目線」
「国民に責任丸投げ・責任転嫁」
「宣言の解除に責任を持ちたくないからでは」
「十分な補償なしに自粛ばかり要求する政府に言われたくない」

といった意見があげられています。

 

自粛する国民に対し「気の緩み」の表現は、やはり不適切な表現に思えます。

コロナに感染するのは、国民の気の緩みなのでしょうか?

気の緩みがなければ、コロナに感染しないのでしょうか?

コロナに感染した人は、気が緩んだ人なのでしょうか?

「気の緩み」の類語には、「注意不足」「認識不足」「不注意」「油断」等が挙げられます。

コロナ感染は、やはり国民側に問題があるよう聞こえます。

17日の記者会見で、「気の緩み」発言について問われると、

「主として8都道府県が、39県の様子を見て”自分たちももういいんじゃないか”と思い、誤解をされている方もいるんじゃないか」とした上で、「8都道府県は引き続き自粛のお願いをしたく、解除した地域については「段階的に経済活動を引き上げていくことをお願いし、いっぺんに元に戻すことは避けていただきたいということです」

国民は、大臣が何を言いたいかは理解しています。

「気の緩み」という言葉の選択から伝わる、国民への「意識」や「姿勢」、「態度」等といった面が問われています。