働き方改革は新たな「ワーカホリック」を生み出す元凶にならないか?

独り言

「ワーカホリック」とは、日本語で言えば「仕事中毒」です。

語源は、work(仕事)とalcoholic(アルコール中毒)とを掛け合わせたもので、始まりは1972年にアメリカの作家によって出版された「ワーカホリック働き中毒患者の告白」だとされています。

家庭等の私生活や自身の健康を犠牲に、身を粉にして働き続ける状況を示す言葉です。

多くは「働かなければならない」と言う、ある種の「強迫観念」を持っていると言われています。

 

「ワーカホリック」は、昭和チックな平成の働き方と個人的には認識しています。

栄養ドリンクのコマーシャルでも「24時間働けますか?」といったキャッチコピーが聞かれた頃の働き方です。

 

企業では「働き方改革」も進められ、残業規制が強化され「サービス残業」という言葉もいずれ死語となることでしょう。

しかしながら、この「働き方改革」から取り残された者がいます。

管理職の方々です。

「働き方改革」のしわ寄せは、部長や課長といった中間管理職が一身に受けることになります。

特に、経営側での地位が低い課長(マネージャー等)は、部下が時間内に処理できなかった仕事を熟さなければなりません。

これはある種の「強迫観念」と言っていいでしょう。

部下が時間内で仕事はできないのは、管理側(課長)の責任とも言えます。

「働き方改革」は、業務の効率化を図る等、管理側の手腕が問われるのです。

 

昭和の時代、「ワーカホリック」と言う言葉は、聞くことはありませんでした。

家庭や私生活を犠牲にし働くことが美化された時代であり、「仕事中毒」はあたり前のことだったからでしょう。

遅くまで残業している者が、仕事をしていると評価され、効率よく仕事をし定時に帰っても評価されない時代です。

残業する者が評価される時代は、平成になってもその風潮が払拭されることはありませんでした。

 

令和の時代における、管理職のワーカホリック化は、働き方改革によって作り出された言わば「副産物」と言えます。

以前は、管理職の怠慢により部下(従業員)の仕事量が調整できず、過労死の犠牲となるのが一般的でした。

「働き方改革」とは、過労死等の犠牲者(ターゲット)が「従業員」から「管理者」へと単に転化したに過ぎないと言えます。