単身世帯の高齢者を襲うコロナ!「孤独死」と「孤立死」について考える

独り言

2020年5月24日

東京都内の住宅で1人暮らしの70代の男性が誰にもみとられず死亡し、その後の検査で新型コロナウイルスに感染していたことが関係者への取材でわかりました。専門家は感染の影響で人との接触が難しくなる中、孤立しがちな高齢者をどう見守るのか、社会全体で考えるべきだと指摘しています。

今月3日、東京・青梅市の住宅で1人暮らしの70代の男性が誰にもみとられず死亡しているのが見つかり、その後の検査で新型コロナウイルスに感染していたことが関係者への取材でわかりました。

男性は死亡する2か月ほど前、親族と疎遠になっているうえ、足が不自由になり困っているとして、60年以上会っていなかった中学時代の友人に助けを求めてきたということです。

友人によりますと、男性は小学校で教師をしていましたが、50代で辞め、その後、家に閉じこもるようになっていたということです。友人は買い物に連れて行くなど支援していましたが、男性は死亡する前日、「胸の辺りが気持ち悪い」と言うようになり、翌日、風呂場で死亡しているのが見つかりました。

友人は「人生に未練があり、“生きたい”と思って頼ってきたのだと思う。心が痛い」と無念の思いを語りました。

この友人は男性と接触していたため、保健所から2週間、自宅待機を求められましたが、その後、発熱などの症状はありませんでした。

感染の広がりで、民生委員など地域の見守り活動が難しくなっていて、高齢化の問題に詳しい「みずほ情報総研」の藤森克彦主席研究員は、「新型コロナウイルスは、感染力が強く急変のリスクもあるので、見守りを密にしなければいけないが、一方で直接会えないという課題がある。支援方法を工夫しなくてはいけない」と指摘します。

そのうえで「再び感染が広がると、こうした事態はさらに起きるので、電話やウェブを通して見守るなど、社会として態勢を整備することが求められる」と訴えています。

出典:NHK NEWSWEB 孤独死の高齢者 新型コロナの感染判明 「見守り」課題に

 

この問題の根源にあるのはコロナではなく、そもそも社会が高齢単身世帯に対する「見守り」体制が不十分な点にあるものと考えられます。

死因となる病気が、例えば「心筋梗塞」や「脳卒中」等ではなく、たまたまコロナ感染であったと言えるでしょう。

ただ、コロナは感染症であることから、地域の民生委員など直接的な見守り活動が困難な点は否めません。

「60年以上会っていなかった中学時代の友人に助けを求めてきた」

ということから、普段において「社会から孤立した生活」をしてきたことが伺えます。

「孤独死」と「孤立死」は、一文字違いですが実態は大きく異なります。

簡単に言えば、社会との繋がりがなく独り死に至るのが「孤立死」です。

例えば、会社に勤め独り暮らしをする者であっても「孤独死」の可能性はあります。

ゴールデンウィーク等の長期休暇等、タイミングが悪ければ1週間程、死亡しても発見されないケースも考えられます。

独りで死を迎えることが「孤独死」であれば、単身で生活する者であれば、誰もが可能性があると言えます。

問題にしなければならないのは、社会から孤立し独り死を迎える「孤立死」です。

社会との繋がりとは何か?

例えば、「友人に会う」とか「定期的な集まりに参加する」とか、直接的な人との「ふれあい」かと思われます。

双方向の繋がりであることが重要で、「テレビを見る」「ネットを見る」等の単方向の繋がりでは、社会的な繋がりとは言えないでしょう。

「社会と繋がる頼れる人」が一人でもいれば、孤立死は避けられることでしょう。

高齢になり単身生活を続ける者にとって、この一人を見出すのは難しいのかもしれません。

「60年以上会っていなかった中学時代の友人に助けを求めてきた」

やはりこの言葉が重く感じられます。