本編は「アーリーリタイアとは?独身男48歳が5年間のリタイア生活でわかったこと」の続編となる記事です。
アーリーリタイア生活とコロナによる自粛生活
2月28日、北海道独自の緊急事態宣言となり道民は自粛生活を余儀なくされました。
アーリーリタイアした自身にとって、この自粛要請による日常生活の変化は、ほぼありませんでした。
自身の場合、アーリーリタイア生活とコロナによる自粛生活は、ほぼイコールと言えます。
ただ月に数回、すすきのでの友人との飲食がなくなりました。
直接友人と会って話す機会が失われ、食料品を買う以外、家から出ることのない生活を続けると、完全に社会との繋がりを失ったような感覚にさせられます。
テレビやネットを見ることで、社会の状況を知ることはできますが、社会との繋がりは単方向と言えます。
自身がブログやSNSで発信する行為も、ネット上では双方向かもしれませんが、直接的な社会との繋がりと考えれば、一方的な情報発信はやはり単方向のように思えます。
自身にとって、友人との会食の機会が、唯一の双方向の繋がりと言えます。
コロナの自粛生活は、両親や兄弟、妻や子を持たない独身男にとって、社会から完全に孤立した状況を実感させられました。
自身がFPとなっても完全に払拭されないお金の不安
今回のコロナの影響で、証券等の金融資産が目減りしました。
リーマンショック級の一時的な変動は想定内でしたが、コロナの場合は一時的な下落で済むかは不明です。
今現在、株価等は立ち直りの傾向を示していますが、第2波、第3波が到来すれば、ワクチンや効果的な治療法等が確立されていない現状、経済の厳しさは増すものと考えられます。
生涯資金における証券等の資産割合を低くし、リスク回避で現金へとシフトしました。
仮に証券等の資産価値がゼロになっても、アーリーリタイア生活が維持できるよう考えています。
マスクが高騰したように、自粛により生産活動が低下すれば、市中に商品が出廻らなくなり、物価上昇を招く恐れがあります。
第2波、第3波により自粛要請となれば、経済が悪化傾向に進むのは間違いなく、それが日本だけでなく世界規模と考えれば、どの程度の経済悪化を招くか、誰も想定することはできないでしょう。
「働く」ことは「社会と繋がり」を持つこと
そう気付き始めたのは、アーリーリタイア4年目頃からのことです。
社会と繋がりを持つ手段は様々あります。
例えば、バーや飲食店を経営するのもいいでしょう。
しかしながら、これらを経営するには、アーリーリタイア資金を元手とするため失敗は許されません。
そう考えると、中々手を出すことができませんでした。
リタイア5年目の冬、33年ぶりに地元函館の同窓会に出席し、一人の旧友に出会いました。
彼は10年以上前に会社を辞め、今では複数の会社を経営し100名以上の従業員を束ねています。
何か興味があれば、まずは会社を立ち上げやってみる。
うまくいかなければやめて、次の事業を手掛ける。
この繰り返しだったと言います。
函館の彼が札幌に来るたびに会い、話をするようになりました。
会社に対する今までの概念が変わりました。
「一緒に仕事をしよう」と誘われた時、私に躊躇いはありませんでした。
これがタイトルの答えです。
「社会の繋がり」と「お金」
「人はなぜ会社で働くのか?」
アーリーリタイアをする以前の私なら「お金のため」「生活のため」と答えていることでしょう。
今なら「社会との繋がり」と答えます。
アーリーリタイアしても、社会との繋がりをもってリタイア生活をされている方も多くいることでしょう。
コロナでの自粛がなければ、社会との「孤立感」をここまで感じなかったかも知れません。
アーリーリタイアしなければ、「社会との繋がり」など全く気にしなかったことでしょう。
会社で働けば、意識せずあたり前に社会と繋がりますが、辞めれば失いかねません。
なぜ定年した父が、自分で名刺を作成し、老人大学や町内会活動を亡くなるまで続けたのか?
それは「社会との繋がり」を求めていたのだと気づかされました。
新たな会社の社長である彼も、同じようなことを言っています。
「墓場に金は必要ない。ITで人が繋がり笑顔で暮らせる社会を創りたい」
生涯笑顔で暮らすには、人や社会との繋がりを持たなければ実現できないことでしょう。
お金の問題は二の次なのかも知れません。
例えお金があっても、その表情に笑顔が見られないかも知れません。