法律用語における「善意」「悪意」とは、
事情を知らないことが「善意」、
事情を知っていることを「悪意」と言います。
今回「年金が2000万円足りない」旨の報告書について、麻生大臣は「受け取らない」という異例の決定をしました。
麻生大臣は「私の判断で・・・・」と言っていますが、政府の判断なのでしょう。
政府は、なぜ報告書を受け取らなかったのでしょう?
マスコミの多くが、2019年7月に予定される参院選への影響を懸念した対応であり、年金について今議論することは、選挙の票に影響を及ぼすと判断したものと報道されています。
「年金は100年安心」と言われ続けてきたものであり、公的年金だけでは2000万円足りないと言うことになれば、その国民感情は現政権に向けられ、票に現れるのは明らかなことでしょう。
麻生大臣も安倍首相も、庶民感覚が全くないように伺えます。
国民の老後は他人事と思える節も見え隠れします。
麻生大臣に至っては、自身が年金を貰っているか、貰っていないかすら判らない発言をしています。
国民の生活を全く理解していないよう感じさせる場面もあります。
ただそれは、我々のイメージに過ぎません。
「年金が2,000万円足りない」と言う民間有識者の真の声をどう捉えているのでしょう?
政府は、2,000万円足りないことを知っています。
2,000万円ではなく、それ以上に足りなくなることを想定しています。
報告書を受け取らなかったのは、「悪意」ある行動です。
「人生100年時代」という現実とは異なる寿命感覚を国民に抱かせ、雇用を現行の65歳定年から70歳まで伸ばそうと試みています。
また、働き方改革では、非正規社員の処遇の向上を目指し、就職氷河期世代に対しても支援を行う政策を講じています。
これらの政策は年金問題に直接リンクし、相乗効果を期待すれば年金問題は緩和される方向に働くものと考えられます。
政府は、年金が足りない事実を確実に認識しているのです。
そう言った意味では、民間有識者の現状における真実なる報告書は、国民に不安を与える観点から政府は受け取らない姿勢を示したのかもしれません。
今回の政府の対応は、見方を変えれば日常的に使われる「善意」の面があるのかもしれません。
年金問題の深刻度から言えば、民間有識者の方が言うとおり一刻も早く、多くの国民に事実を知らせるべき問題かと思われます。
理由はともあれ、「100年安心」と国民を思わせてきたのは政府です。
国会の場でしっかり議論し、「人生100年時代」にマッチした国民誰もが安心できる年金制度を確立して欲しいものです。