他人からみれば「ひとりぼっち」(以下ぼっち)は「寂しい」と思われるかもしれません。
「ぼっち」から見れば、世の中の人間関係はとても「煩わしい」と思えるかもしれません。
人と共存する人生は、気遣いというエネルギーを多大に費やします。
「ぼっち」でなくても、時に「ぼっち」になりたいと思う方は多く存在します。
ひとりカラオケ、ひとり焼肉、ひとりキャンプ等・・・・
大勢で楽しむのが一般的な行動をひとりで行います。
気遣いすることなく、本来の楽しみを堪能しているよう伺えます。
「ぼっち」には、「寂しい」を感じさせないメリットが存在します。
ぼっちのメリット
自由に好きなことができる
「ぼっち」は人を気にすることなく、自由に行動することができます。
昭和の時代、成田離婚という言葉がありました。
簡単に言えば、新婚カップルが旅行に行く成田空港で喧嘩をし離婚することです。
人と行動を伴にすれば関係性にトラブルが生じるのはよくあることです。
それが大好きな人であっても・・・・
ひとり旅では、こんなトラブルは無縁です。
自分の思ったように行動できます。
妻や子がいれば、会社を辞めるのも難しいことでしょう。
「ぼっち」は、守るものは自分だけで、人に左右されず行動ができます。
例えば、会社を辞めて漫画家になる。
家族がいれば難しいかもしれませんが、「ぼっち」だと自身の夢を叶える可能性を秘めているようにも思えます。
日々の人間関係の維持から解放される
人間関係を維持していくには、少なからず気を遣います。
会社では、上司や同僚に嫌われないようにとか、友人においても仲間外れにならないようにと気を遣い生きているよう思えます。
人間関係は生きる上でかけがえのないものです。
日本に生まれれば、保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社へと多くの方が集団生活を余儀なくされています。
気を遣うのは、ある意味当然なのかも知れません。
人は親密度の低い相手ほど気を遣い、親や兄弟、夫や妻等、親密度の高い人には余り気を遣わない傾向にあるよう思えます。
本当にそれでいいのでしょうか?
「ぼっち」になると、大切な人間関係が見えるよう思えます。
気を遣うのは大切な人たちだけでいいよう思います。
親族や学校の同期等、利害関係やしがらみのない人間関係が心地よく思えるでしょう。
自分を偽らずに生きることができる
人にもよりますが、人間関係を維持するために見栄を張ったり、世間体を気にする等、ひとりぼっちには余り必要ありません、
気兼ねなく自分らしく生きることができます。
誰にも予定を邪魔されず、相手の予定に合わせたり、自分を偽り断る必要もありません。
時間をひとり占めできるので、誰からも干渉されることなく好きなことを好きなだけできます。
例えば、
家族で焼肉を食べる時、肉ばかり食べていると親に「野菜も食べなさい」と言われたことはありませんか。
ひとり焼肉では、誰からも干渉されず大好きな肉ばかりを食べることができます。
ひとりカラオケでは、何度も同じ曲を歌ったり、慣れていない曲を歌ったりと自由に選曲できます。
何よりも、相手の歌を聴く必要がありません。
歌い続けることができるので、存分にカラオケを楽しむことができます。
何ごとにも没頭できる環境と言えるでしょう。
「ぼっち」を悲観的に捉え恐れてはいけない
「ぼっち」を孤独といった悲観的に捉えてはいけません。
総務省の統計では
65歳以上の人口の内、男性の8人に1人、女性の5人に1人が単独世帯です。
(平成27年国勢調査より)
この割合は増加傾向にあり、将来「ぼっち」になる可能性は誰にでもあります。
老人にならずしても「ぼっち」な方もいるでしょう。
孤独は、その人の寂しい等といった主観的な感情を言います。
「ぼっち」のメリットを生かし、人生を楽しめばいいのです。
周囲に合わせて行動することが楽しいと思われる方もいるでしょう。
協調性がある方であれば「ぼっち」に魅力は感じないかも知れません。
煩雑な人間関係に嫌気を感じる方には、「ぼっち」な時間の過ごし方をお勧めします。