「ぼっち族」はどこに行ったのか?本当の「おひとりさま」とは

おひとりさま

2015年、テレビの情報番組で紹介された「ボッチ族」

ボッチ族とは

「友人・家族・恋人もいるが、あえて一人で楽しみたい人々」

と紹介され話題となりました。

 

例えば「ひとり焼肉」では、

「好きなものを好きなだけ食べれられる」
「気を遣わなくてもいい」
「周りを気にすることなく過ごせる」等

と言った内容が、SNS上にアップされ多くの「いいね」を集めている者もいました。

ネット上では、これに否定的な意見も乱立しました。

「家族や友人、恋人がいる時点で”ぼっち”ではない!」
「ガチぼっちのことも考えろ!」
「インタビューを受けている女性はなぜか美人が多く、一人をきどりかまって欲しいのだろう」

そんな「ぼっち族」、今ではめっきり見かけなくなりました。

煩雑する人間関係からひと時のエスケープ的な発想だったのでしょう。

ある意味、「おひとりさま」への憧れかも知れません。

 

「ボッチ族」が真の「おひとりさま」ではないと思われますが、「おひとりさま」の定義はあるのでしょうか?

ネット上で調べても、特に定義らしきものはありません。

代表的な解釈は、

・飲食店等に一人で訪れる客。主に店側が用いる言葉
・婚期を逃した男女
・謳歌している独身
・孤立した一人世帯の高齢者

 

例えば、婚期を逃した男性(女性)が実家で暮らしている場合や、友人や恋人がいる独身に対しても使われる場合があります。

「おひとりさま」とは、定義のない実に曖昧とした言葉であることが分ります。

その為、個人の間で「おひとりさま」と口にした場合、レベル感が違います。
・妻や子供がいて、単身赴任されている方も、状況だけで見れば「おひとりさま」かもしれません。
・両親や祖父母、兄弟、妻や子がなく天涯孤独の身であっても、友人や恋人がいれば「おひとりさま」ではないのかもしれません。
・妻や子がいても別居状態で一人暮らしをしていれば、実質「おひとりさま」と言えるかもしれません。

ある意味、家族等が存在しても、心が満たされず寂しい思いをしていれば「おひとりさま」なのかもしれません。

逆を言えば、

社会的に孤立することなく、「誰か」一人以上が存在し、心が満たされていれば「おひとりさま」ではないと言えます。

この「誰か」がいなければ、それが本当の「おひとりさま」と言えるかも知れません。